開堂は1927年。
緑濃いこの地が一大文化ゾーンとして全国で有数の野外大音楽堂 (当時3,000人収容)として建設。設計は京都市庁舎の設計をした中野進一(武田五一の弟子)と伝えられ、その後改築を繰り返していますが、当時の洒落たセンスや新しい文化創造の意欲を感じさせる意匠があちこちに残っています。
現在客席の後ろは東山連峰に繋がる森の緑。頭上には広がる青空、鳥や虫の声、夕方の付近のお寺の鐘の音など。落ち着いたコンサートと融け合う、最も京都的゛解放的な空間です。
往時は、ジャズのマイルス・デイビスやハービー・ハンコックなど海外の著名な演奏家もここで演奏を「楽しみ」、かつて週末にはいつもコンサートが開かれ、ある時代はフォークの聖地ともいわれ、祇園祭の頃には宵々山コンサートなど、個性的な場所として、広く人々の記憶に残っています。家族の憩いの場や若者たちの文化の交流の場でもあったのです。
近年では、京都市主催の「円山コンサート」として、フォークフェスティバルとカントリーフェスティバルが15年近く開催され、日本中から楽しみに人々が集まってきました。
今年は96年目にあたります。もちろん古い施設ですし、楽屋は狭く、客席は背もたれのないベンチです。
それでも、一所懸命スタッフが修理し整え、主催者も楽しんでコンサートやマルシェや演劇やワークショップや、狂言や・・を開催して下さってお客様にお楽しみいただいています。なんといっても、青空の下の清々しさは他に替えられません。
これからも、あれこれ「卒塔婆小町」のように、100歳を、そしてもっとここで京都の文化を暖め続けていって欲しいと願っています。
あなたもどうぞその場にいらしてください。